血液製剤・血漿分画製剤・血液製剤が必要となる病気の種類などを学ぶことができます。
血漿分画製剤のいろいろ
血友病の治療は、患者さんに失われている凝固因子をからだの外から静脈に注射して、不足を補うので、「補充療法」と呼ばれます。
血友病の最古の記録は、バビロニアのThalmud(ユダヤの律法)の中に、それらしい症例が記載されているようですが、確かではありません。医学的な文献上では、1803年、米国のオットー(J.C.Otto)が血友病の家系を報告したのが最初であると言われます。更に1828年、ホップ(F.Hopff)がこのような出血性疾患に血友病(hemophilia)という名称を与えました(hemoは「血液」を、philiaは「好み、傾向」を意味しています)。
その後、マクファーレン(R.G.Macfarlane)により、血友病Aと第Ⅷ因子の関連性が明らかにされ、以来治療に新鮮血液(後に、新鮮血漿)が利用されるようになりました。更に1964年、プール(J.D.Pool)により、クリオプレシピテート(略称:クリオ)の製法が開発されました。
クリオは新鮮凍結血漿を融解するときの沈殿部分で、第Ⅷ因子が血漿の数倍に濃縮されています。これは血友病Aの治療効果を高め、次の第Ⅷ因子濃縮製剤開発の出発点ともなりました。
【輸血と血友病治療の歴史】
クリオ製剤は、軽度から中等度の出血に対し効果を発揮しましたが、本格的な血友病Aの補充療法剤としては不十分でした。このためクリオを出発原料にして、物理化学的な方法で更に第Ⅷ因子を精製した高濃度の製剤が開発されました。この製剤は第Ⅷ因子濃縮製剤と呼ばれます。血漿に比べて第Ⅷ因子が25倍に濃縮されたものでした。この濃縮製剤の開発により、大手術を始め、血友病Aのあらゆる止血管理が可能となりました。また1980年代始めには、この濃縮製剤を使って、自己注射による家庭療法も導入されました。
更に、1980年代には、肝炎ウイルス等の不活化処理の技術開発が進み、日本では1985年加熱処理第Ⅷ因子濃縮製剤が市販されました。その後も更に製剤の安全性を高めるための努力が続けられ、現在では方法の異なる2つ以上のウイルス不活化・除去処理を施した製剤が開発され市販されています。
また、近年のバイオテクノロジー技術の進歩により、血漿を原料としない組換え第Ⅷ因子製剤も市場に供給されるようになりました。
1952年に、それまで血友病として一括して扱われていた出血性の疾患が、血友病A(古典的血友病)と血友病B(新病型)に区別できるようになりました。血友病Bの治療も初期の頃は、血友病Aと同じように全血液や血漿を輸注する事で止血効果を求めていましたが、不十分でした。
1959年、フランスのスリエ(J.P.Soulier)が、血漿を原料に精製を行い、第Ⅸ因子が25倍濃縮された第Ⅸ因子複合体製剤(=PPSB製剤)を開発しました。この製剤の開発により、血友病B患者さんのあらゆる止血管理が可能となりました。日本では1972年に市販されています。
血友病B製剤も1980年代のウイルス不活化技術の進歩により、日本では1986年加熱処理製剤が市場に導入されました。また第Ⅷ因子濃縮製剤と同じように安全性の向上を求める声に答えるべく、現在では方法の異なる2つ以上のウイルス不活化・除去処理を施した製剤が開発され市販されています。
<新潟県立加茂病院名誉院長 高橋 芳右先生(2009年2月監修)>